この夏に考えること。
昨日、信州長野県から帰ってきました。久しぶりの連休を使って、長野県上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」に訪れてきました。
上田市郊外の小高い山の上に、「無言館」がありました。
扉を開けると、むわっとした暑い空気の中に、静かに作品が置いてありました。
作品の横に貼っている画学生の紹介に、亡くなった年齢が書いてありました。どの画学生も、20代~30代という若さで亡くなっています。私と同じ年代だけに、他人事とは思えません。もし、いま戦争が始まったら...。
「戦争」を目の前にして死ぬことを覚悟しなくければならなかった画学生たち。一生懸命勉強している絵を、「最後まで書きたい」と出征する日まで描きつづけたその絵から、「いき続けたい」「もっと絵を描きたい」という願いが出てきそうでした。
日本が進めた戦争によって、命が奪われた多くの人がいること、一人ひとりの人生があったことを想像しました。同時に、戦争が無くて生きていたら、すばらしい作品をもっと残せたんじゃないかと思いました。戦争は、人を殺し、家族を殺し、町や文化まで奪ってしまうことを、あらためて考えながら美術館を後にしました。
旅の途中の8月15日終戦記念日に、小泉首相による6度目の靖国神社参拝のニュースが流れてきました。小泉首相は参拝について「二度と戦争をしない決意」「心の問題」などと言いましたが、どんな言葉を並べても、アジアの国々と人々に理解されないのではないでしょうか?
それは、靖国神社が、過去の日本が行なった侵略戦争にたいして、「アジアを開放する戦争」「正しい戦争だった」と肯定している神社だということ。一国の最高責任者が参拝することは、こういった靖国神社の考えに、政府として公に認めることと受け止められるのではないでしょうか?
もしも、どこかの国が、日本に投下された原子爆弾を「戦争をはやく終わらせるために正しかった」と、肯定すれば、多くの日本人は、どう考えるのでしょうか?
小泉首相の行動は、過去の日本がおこした戦争の認識の浅さを感じます。今後の首相が靖国神社に参拝をせずに、アジア周辺諸国と歴史認識をお互いに深める関係をつくっていかなければなりません。
「いき続けたい」「もっと絵を描きたい」と思いながら犠牲になった画学生たちの願いに、こたえたい。
参考に。
「小泉首相の靖国参拝強行について 志位委員長の談話」(しんぶん赤旗より)
「小泉総理インタビュー」(首相官邸HPより)
「靖国問題の核心から逃げる 首相の無力な「反論」」(しんぶん赤旗より)
